行定勲監督 トークセッションQ&A

2021年4月16~18日に開催された「くまもと復興映画祭2021」

映画祭に先駆けて2週に亘って行われた蔦屋書店熊本三年坂でのプレイベントでは、
ディレクターである行定勲監督が、映画祭や映画にかける思いを熱く語ってくれました。
今回は、4月10日(土)に開催されたトークセッションでの、Q&Aを大公開します。


Q:この映画祭に込める監督の思いとは? また、継続していくことで、どのような形に、この映画祭を拡げて育てていかれる考えですか?

A:現役の映画監督が映画祭をやるというのは、あまり想像がつかないことで、通常は呼ばれる側。
映画祭というのは。新しい作品を作って、お披露目をして、広く理解してもらって、作品を理解してもらうという場。
カンヌや、ベルリン、湯布院映画祭、それぞれの映画祭が自分たちの色を打ち出していて、自分自身が、映画祭に呼ばれて良かったと思うのは、呼んでくれた人や観客が映画が好きで、そういう熱のある会場で、かけられている映画を共有することや、その体験が、映画人生の糧になると思ったとき。映画祭から帰る頃には、また頑張って映画作ろうと思える、そういう映画祭が素敵な映画祭だと思う。

映画祭で行くと人と出会う。
熊本に、映画を作っている人が訪れて、観客に質問をぶつけられて、それに答えて。その監督が帰る時に、また頑張ろう次の映画って思える映画祭を目指したいと思っている。
菊池映画祭の時から言っているけれど、観客が育つと映画が育つ。観客がいいと映画祭が育つ、映画祭が育つと、とんでもない俳優さんが来るようになる。
そういう映画祭にしたい。

賞を競う映画祭ではなくて、僕が観た映画のから得た知見、僕が観た「この映画を熊本の観客に見せたい」と思ったものを見せたい。自分が、面白いと思ったものしかかけたくない。
シネコンでかかっている映画は、宣伝が行き届いて、興行収入もある映画で、熊本でいうDenkikAnみたいなミニシアター系、ああいうとことでかかっているとのは違う。
この映画を作らなければならなかった、作りたかったという意思が、監督たちに強くあって、それを観ることで、心が豊かになるし、心が揺り動かされるというのは、こういうことだとわかるような映画をかけたい。
映画祭の上映作品に、選ばれるというのは、ヒットするのとは違うことで、どの部分でディレクターが、自分の映画を選んでくれたか。それが大事。
今回の映画祭の作品も若手監督のものが多い。
若手監督の映画は、「俺はどうしてもこの映画を作らなければならなかった。」という思いが強いので、そこに、その人それぞれの真実がある。その人達の話を聞くと元気になる。
なぜなら、必要とされてないから。びっくりするぐらい世の中に必要とされていないものもある。でも作りたかった。それを面白いと思っている。
そういう映画がかかっている映画祭がいいなと思っているし、それを共有したい。

「復興映画祭」なので、この名前のきっかけになった、熊本地震があって、気持ちが落ち込んで、でも自力で踏ん張って這い上がって、日常が取り戻せている。その過程の中で、映画の中の登場人物の色々な生き方、全員が上手くいかない生き方だけど、そんな生き方を観て、「どんな悲劇の中でも元気がもらえたな」というようなことを思ったり、こういう生き方もあるということを観て、また現実と向き合ってもらえたらいいなと思っている。
あと、復興と付けると皆さん、あまりNOと言わない。話を聴いてくれる。
これがすごく良いこと。作ってる人間は、何か人のためになりたいというか、何かきっかけになりたいという思いを持っていて、どこかにひっかかるものがある。
だから復興映画祭の復興は外さない。
「よくしていこう」、「忘れちゃいけない」という原点に返る気持ちで復興映画祭はあるかなと思う。

Q:一番注目している若手俳優・若手監督

A:映画祭を観たらわかる。
ここにきている若い俳優・監督は、よくも悪くもこれからの映画界を支えていく。
よくも悪くもというのは、それがどっちなのか分からないから。

今年でいうと、松居大悟監督は、若手と言っても、もう10年ぐらい撮っているわけだけど。
今回の「くれなずめ」は、元々彼が主宰の「ゴジゲン」という劇団でやっていた舞台で、僕は、小さな下北沢の劇場でそれを観て、これは映画にした方が、良かった。
本当に彼はバイタリティがあるし、若い俳優たち、同世代の俳優たちが、皆、彼と一緒にやってみたいと思うような監督。

「佐々木、イン、マイマイン」の内山拓也監督は、KingGnuの「The hole」というMVを観て、ただもんじゃないと思った。おそらく、ここ数年でかなりのところまで行く監督になる。今29歳。僕がデビューしたのと同じぐらい。
「佐々木、イン、マイマイン」の主人公役で、脚本も書いている細川岳君、髪型に注目して欲しいんですけど、GOの窪塚君と同じ髪型をしてる。これは、本当の話で、美容室に行って、GOの窪塚君みたいな髪型にしてくださいって言って、してもらった。特徴が欲しかったらしい。彼は、今回登壇できるかは分からないけど、彼が来てくれたら良く分かるぐらい、まったくの別人に見える。そういうのが分かるのが映画祭。
いずれにしても、内山拓也監督というのは、新世代を代表する監督で、しかも骨太のものを今後撮っていくと思う。

それから、春本雄二郎監督、長年助監督やって、「かぞくへ」という映画を2019年に撮った。2本目で、釜山国際映画祭・ニューカレンツ部門(新人監督コンペティション部門)に選出されたり、世界的映画監督ジャ・ジャンクー設立の第4回平遥国際映画祭・クラウチングタイガー部門(新人監督コンペティション部門)に選出、「審査員特別賞」と「観客賞」をW受賞、ベルリン国際映画祭・パノラマ部門にも選出されてる。
僕も「ひまわり」で同じような道をたどっているんだけども、この「由宇子の天秤」という映画はすごい。すごく引き込まれた、社会派映画。
一風変わった元気な部分とか、青春っぽい部分もあるけれど、かなりの毒もあり、人間の底知れない本質みたいなものが浮き彫りにされてる。
光石研さんが、また、いい芝居をしてる。
今年の秋に公開される予定の映画が、春に熊本で観れるというのは、すごく異例なことで。配給さんが協力して下さった。こういうことは、映画祭にとってプラスになる。

Q:今後この俳優さんで映画が撮りたい!という人はいますか?

A:いない。
特にいないというより、そういう視線で見ていない。
ただ、上げるとするならば、ベテランの役所広司さん
一緒に仕事してみたいし、全然違う今までにない役所さんを観てみたい。
今後一緒にというより、もう一度やってみたいという人は多い。
豊川悦司さん、香川照之さんあたりの、僕と世代が近い人とやりたい。
青春映画ばっかり撮ってる場合じゃないなと…。次も青春映画準備してるんですが。
キラキラ映画ではない、ちょっと風変わりなもので。

Q:原作のある作品の映画化も数多くありますが、この作品は、映画化したいというものはありますか?

A:物語には興味がない。物語って必要かなというところがあって…。
僕の作品だと「きょうのできごと A dAy in the home」オンラインで緊急事態宣言中に全部リモートで撮った作品。
元々の「きょうのできごと」は、柴崎友香さんの原作の映画で、引っ越し祝いで、皆で飲み会をしている一幕の映画。
今回のは、リモート飲み会にした。
ただ、皆で飲み会をしているだけなんだけど、そこに色んな人間関係があって、ちょっとしたエピソードや、人と人が会話するのに、観客がちょっと付き合ってる
だんだん翌日の朝になってくる間に、ちょっと気持ちが前向きになったり、それぞれが生きていることを実感したり、くだらない世の中かもしれないけど、前向きに向き合おうとしているようなことが、伝わればいい。

小津安二郎監督の映画が僕は大好きなんだけど、退屈だと言われていた時期がある。
次の世代の、篠田正浩監督、大島渚監督とか吉田喜重監督とか、松竹の後輩たちが、小津はダメだと言った。でも、言っていながら、その裏返しで、「すごいけど、それをやっていては太刀打ちできない、変えていかないといけない」というような、イデオロギーとか哲学とか、そういうものを口走るようになった。いわゆる。海外のヌーヴェルヴァーグとか、衝動的な映画みたいなもの
小津の映画には、衝動的なものはない。淡々としてる。
四季を撮る。四季を撮るってよくいうけど、どうすれば4つの季節を良く撮れるか?というと、1本の木を撮ればいい。
1本の木をずっと定点で撮っていく。大体緑、緑が段々紅葉になって、やがて葉が落ちて、冬は見えなかったもの、木で隠れていたものが見えるようになる。その次は、新緑になる、そして、花が咲いて、花が散って…。
四季を撮るのに、1つの木を撮れば大丈夫なのと同様に、人間が同じ道を歩いているというのを、毎日定点で同じ角度で撮れば、一生ってものが撮れる。
「道」というテーマの映画ができる。そこに道があるだけ、木があったのが、切り倒されるかもしれない、そこにあった家が建て替えられるかもしれない、そういうものが、映画だと思うので、物語に興味がない。ただ、そういうことを感じさせてくれる小説に出会うと映画化したいと思う。
映画は、ストーリーではなくて、やはりキャラクター。
どんな生き方を選んで、どんな表情をして、どんな会話をするかに興味がある。

Q:映画で使う音楽の決め方の基準などがあれば教えて下さい。

A:散々主題歌が当たってきているので、あまり言いたくはないが…
主題歌は、プロデューサーが決めているので、実は監督は決めていない。自分が決める必要があるのかな?と思っている。
井上陽水さんだけは指名して書いてもらった。
主題歌で成功している映画は何本かあって、「世界の中心で愛を叫ぶ」は、あれを聴くとスイッチが入る。
映画と音楽だと、音楽になかなか勝てないところがあると思っていて…。
音楽って、例えばギター1つ持って、歌うこともできる。どんなに自分が映画について語っても、ここで例えば主題歌を歌われたら、全部かっさらっていく。それぐらい音楽って、力があると思う。
音楽みたいな映画が作りたくて…。ある場面を観たら、全部その映画がわかるような、そんな映画が作りたい。物語はどうのこうのとか、そういうことは、どうでもよくて、あの映画の、この場面見たら思い出す、スイッチが入る。そういう、印象が残ればいいなと思う。

劇中の音楽は、映画の一部なので、誰にかいてもらうかは決める。
一番多いのは「めいな & Co.」
「夢見るように眠りたい」でデビューした2人組の音楽ユニットで、ほんとにすばらしい。
「濱マイクシリーズ」「GO」「世界の中心で愛を叫ぶ」「ナラタージュ」など、ギターとピアノの組み合わせで、大ベテランで、尊敬してる2人組。本当に注目して欲しい。

Q:幼少期に夢中だったこと

A:映画と関係ないことで言うと「釣り」
江津湖で雷魚とかハエとか疑似餌でルアーで釣ってました。ブルーギルとか、当時は外来魚の駆除とかじゃなくて。
映画監督的に言うと、幼少期に自分として手ごたえがあったのが絵
すごくいい先生に出会った。
「特別である」ことや、「独自性がある」ことに気づいて、これは面白いなと思った。
その先生の絵画教室に行って、想像で絵を描くのが大好きだった。
ただ、今は、意外とまとまった絵を描いて。
昔の自分の才能を取り戻したい。還暦過ぎたら、自分自身をぶっ壊したい。

Q:いつ映画に目覚めたか?

A:映画を観たというよりは…、黒澤明の映画の撮影現場に行って、映画の現場を見て、スゲーなって思った。
現場に行かなきゃって、その時になった。

Q:ネットでも映画を観られる時代に、映画をどうやって観て欲しいなど、思いはありますか?

A:その話題も古い。監督の思いというより、それは観客の問題。
観て欲しいとか、評価して欲しいとか思った時点で、観客の方が上になっちゃう。
感覚的には、映画が先に、上にないといけない。
映画というのは、出会うもので、一番いいのは、明確にいうとスクリーンで観ること。
NetflixやAmAzonですごく楽しみにしていた新作を観る時も、もちろんある。そうやって観ると、自分のいい時間に観れる。無理をしていないし、何の負荷もかかってない。
飲みながら食べながら観ちゃうし、リラックスして観てる。途中で止めたりもする。それが決して、いいとは思わない。
映画は、色んな人達と隣合わせて観て、自分は心の中で笑っているけど、声を出して笑っている人もいるとか、自分は泣いてないけど、隣の人が泣いているから、誘われて泣く状況になったりする。
皆が同じである必要はなくて、同じものを見てるのに、みんながそれぞれ違うということを知ること、そういうことを知るためには、映画館に行くしかない。
映画と呼ばれているもので、ちゃんと仕上げているものは、監督は、スクリーンで音と絵をチェックして作り上げている。
そうやって仕上げたものなので、配信で観ると、既にそれは、違うものになる。
ほんとにその作品を知ったことにはならない。確認したとは言ってもいい。
確認したことと、作品を知ることは、全く違うこと。
世界中がそうなっているから、配信で映画が観れるという状況をとめることはできないけど、映画館に行くという文化を残してほしい。映画祭というのは、スクリーンで映画を観てもらうという、1つのかなめとなる。
映画祭は、その場に皆を集めて、観て、解説したり、共有したりする。
その場が、重要になっていると思う。
CDを聴いて、ライブに行きたいという思いと同じように、映画館で見るという行為が特別になって、映画館で観たいというようになって欲しい。
勿論、観ないより観た方がいいわけだけど、映画館である方がいい、

Q:「いっちょんすかん」は、DVD化されますか?

A:短編集が溜まったらDVD化するとかもしれない。
これから発表する短編も含め、良いサイズの短編が揃ったら。

Q:今後、菊池での開催はありますか?

A:コロナ次第
映画的に考えると、このコロナウイルスは、とんでもない設定のウイルス
分断を余儀なくされ、しかも、新種にアップデートしていく敵。
しかし、果たして、これで簡単に分断されていいのか?という思いがあって、映画祭自体は、1か所だけで開催する。
人が混雑する状況を今は作れないし、移動を細かくさせない。
今回も東京から来る登壇者は、完璧に対策をして臨む。
そういう考えや姿勢を共有して、受け入れてもらわなければならない。
簡単にオンラインにせずに、今のやり方に準じて、アップデートさせていきたい。

Q:Tシャツの他に、グッズ構想はありますか?

A:ステッカーは売ります。
ただ、他はあんまり売れないので…去年はTシャツが完売して、ちゃんとデザインしたら売れるんだなと。
来年は、高良健吾バージョンのTシャツができるかも?

Q:映画を撮っていて、恋をしそうになったことは?

A:全くない。
それどころじゃない
自分の想像している役と、その女優さんがどういう風に見せたいか、現場では戦い

Q:コロナ禍で何に一番時間をつかったか?

A:お家時間が長かったのかというと…
アトリエか自宅かにいて、仕事をしていた。
Netflixと仕事をするかも?というのもあって、Netflixを観たり…。
「FARGO/ファーゴ」「マインドハンター」を観て、めちゃくちゃ面白かった。
映画とは切り離せない生活を送っているという、かっこいいことがいいたいわけではなくて…

Q:映像(仕事)と生活を切り離すことはあるのか?

A:ない。普通の人と一緒で、何にもすることなかったら、テレビをみたり、Netflixを観たり、シソンヌのライブみたりするでしょ?
シソンヌのライブよく見てて。何度見ても好き。
シソンヌのライブは、映画っぽい、不可解さがある。
海外のカンヌ行った映画とか、ちょっと転ぶとシソンヌの映画のよう。不条理というか、不可解というか。映画より勧めたいぐらい。

Q:映画を扱う蔦屋書店に求めること

A: DVDというのはコレクション欲で、僕は、DVDを買っているけれど、今、DVDは売れない時代。
でも、例えば「この映画は気に入った」と思ったら、今はAmAzonで観れる。散々観たから、しばらく観なくなる。でも配信は、有限じゃないので、しばらくすると契約が切れて、破棄された。その瞬間から観れなくなる。
その頃にはDVDは廃盤。AmAzonで買おうとすると5万ぐらいになったりする。
僕の映画だとアート系の「ひまわり」や「きょうのできごと」は、ストリーミングはどこにもない。持ってたら価値は。どんどん上がっていく。
例えば、台湾の映画監督のエドワード・ヤンの作品で、「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」というのがあって、マーティン・スコセッシが設立したフィルム・ファウンデーションのワールド・シネマ・プロジェクトと米国のクライテリオン社の共同で、オリジナル・ネガより4Kレストア・デジタルリマスター版が製作されてDVD化された。これを僕は持っている。
エドワード・ヤンは、既に亡くなっていて、新作がないから、過去作見るしかない。
同じ監督の「恐怖分子」や「海辺の一日」あたりは、リマスター版が出ないので、誰も観れない。そうすると、僕とは会話が通じないことになる。
実は、「これは優れている。」「一生ものかも?」と思う映画に出会ったら買った方がいい。
配信がこれだけ進むと今のBDが、ディスクの形式としては、最終形になるはずなので、BDを買って、BDが観れる機械を保存しておけば大丈夫。
今の世の中は、人気がないものは、破棄されていくけれど、多様性と言う意味では、破棄してはいけない。
だから、いつまでもあると信用してはいけなくて、いつなくなるかわからないものだと思って欲しい。
売れないからと言って、書店も売らなくなると、まさに悲劇で、映像作品なのに、人の記憶にしかないことになる。
「真夜中の映画祭」こういう、もはや観れないような映画の話をする。聞いている方は、きょとんする。つい最近までは観ることができたのに、もう今は観れないということを、むし悔しがってほしい。

こういう状況が起こるので、これぞというものを置いて欲しい。
むしろマニアック映画が、蔦屋に行ったらあるぞという状態になって欲しい。
何なら、僕がコーナーを作る。
もう観れないだろうなというものを買い集めた棚を作ってくれるなら、やります。
絶対に、どんどんなくなっていくから。
本もそうで、売れないと絶版するとかなるので、これは記憶に残したいなと思うものは、見なくてもいいから、コレクションでいいから、買い集めて欲しい。

最後に…

今回の映画祭の中で、どうしても観て欲しい作品の話
「わたしは元気」という作品は、もはやモンスター。
誰も有名な人はでてこない。監督の隣の家の女の子が出ているだけ
DVDも売ってないし、ここでしか観れない、上映もしていないのに、どこかの美術館が彼の特集上映をするという。これは異例。
他は、どこかしらで公開するので、頑張れば観ることができるけれど、この作品だけは、他では本当に観れないので、ぜひ見て欲しい
今回の評判が良かったら、彼の過去作品を持ってきてもらおうかなと思っているぐらい、渡辺監督は好きな監督で、DVDと一緒で記憶に残さないといけないと思っている。